• 聖マリアンナ医科大学 神経精神科学教室

Back In The CPPS

 米国ではNational Institute of Mental Health, NIMHから精神医学のこれまでとは異なった方法論としてResearch Domain Criteria, RDoCが提唱されている。しかしこれは、脳科学に基づく、研究で用いられることが想定されているものである。経済活動の中心地である米国が、国際政治同様、医学においても中心となっているのが、現況である。現代では暗黙の了解として共通言語に採用されているかの様に英語で研究成果や考察が発信され続けている。精神医学も、当然医学の一分野とされるから、あたかも米国が最先端で本質に迫る成果が挙げられている様に考えられるかも知れない。

 しかし、政治経済においては中心である米国であっても、精神病理学を土台として伝統的精神医学の視点から見れば、精神分析を根に発達したその精神医学は、決して中心的役割を果たしているとは言えない。かの国では、一種の行き詰まりを感じたある時点で生物学的精神医学に大きく舵を切り、精神病理学的な蓄積を、振り返れば行き過ぎた合理化とも取れる様な手順書に変貌させてしまった。それがDSM-Ⅲ以来の米国精神医学である。この流れには、米国らしいプラグマティズムの哲学が根底にある様に思われる。当然、その支配的な認識論は、身体医学が拠り所としている還元主義である。Descartesは、「部分を積み上げれば、全体が分かる」と考察したが、Aristotélēsは「全体は部分の総和以上のもの」と語っている。操作的診断基準が普及する中で、我々は部分を積み上げてみたところで、かえって本質がぼやける様な歯痒さを実際に体験している。この元凶は、幾つか想定されるが、その一つは、果たしてDSMが部分としているものが正確な「部分」なのかどうかということである。「部分」の取り出し方に問題があるとは考えられないだろうか。 

 Jaspersは、個々の症候を同列に扱い羅列することは意義がないと批判した。そもそも彼は、精神医学には因果律が成立しないので、還元主義は成り立たないとする立場である。そのJaspersは、精神医学の診断体系に階層的枠組みを想定したSchneiderの学説を肯定的に評価している。DSM-Ⅲは、セントルイス学派が中心となって策定され、Schneiderの1級症状に着想を得たものである。そうであるとしても、残念ながら手順書の宿命として、普及して多くの人々が活用し始めると、その精神は失われ、次第に恣意的とも言える運用や改定がなされてしまう。「手垢が付く」とはこの様な現象なのかも知れない。斯くして、DSMは、Jaspersが批判した「症状を吟味せず羅列する」様な表層的な診断を操作する「手順」となってしまった。Schneiderの重要な功績の一つは、50年余りの時間を経て、今や独り歩きしてしまっているのである。そして、精神科診断の混乱がしばしば指摘されている現状では、SchneiderやJaspersの診断概念にもう一度立ち返る必要性があるのかも知れない。臨床においては、今なおSchneiderの主張した階層的枠組みを覆すほどの成果が得られているとは言い難く、彼が提唱した精神医学の診断体系は歴史の風雪に耐え得るほど強固なものなのではないだろうか。

 1級症状の原典は、臨床精神病理学の終盤にある。診断体系が混沌としてしまった様に見える現状を打破する為に今一度Schneiderの思索を辿り直してみることで、大きな収穫が必ず得られるはずである。


 ようこそSchneiderの臨床精神病理学へ!

 Back In The Clinical Psycho-Pathology of Schneider!


Kurt Schneiderの直筆署名(古茶教授蔵書より)
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