精神病理学

 伝統的に、精神医学は、心の病いを解明する手段として精神病理学を用いてきた。しかし現在に至るまでも、精神症候学で規定され分離された精神疾患はない。また同時に内因精神病と呼ばれる一群では、それを推測も要請もされていながら、未だに身体的基盤を見付けられないでいる。

 そこで、診断の基準を便宜的に定めて、解明に努めようとした。それが1980年代以降広く使われている操作的診断基準である。これは謂わば住居表示に似ている。住所を見ただけでその家に辿り着けないことはしばしば経験する。

 翻って精神病理学に基づいた伝統的精神医学の方法に基づく従来診断とはどの様なものだろうか。それは前者の喩えに従えば、道標に拠った道案内である。道順を聞くことで目的地に行き着くこともまたしばしば経験することである。

 今、操作的診断基準に基づいた精神医学は、診断の拡散など様々な問題を生じている様に思われる。そこで今一度伝統的な手法に立ち返ることで、こうした混乱を収束できるかも知れない。歴史に裏打ちされた技術からは、多くの示唆が得られるものではないだろうか。「伝統的」なものとは必ずしも過去の遺物ではないのである。

 精神病理学は、単なる症候学だけでなく、症状の意義を考察することで病気の成り立ちを解明しようとする試みでもある。また病気の「意味」が何かと捉えようとすることから、診断体系の見直しも提案できるだろう。純粋にこころを診る為にこの学問を志すことは、現代において非常に重要な意義がある。そしてまた伝統を積み上げていくことが出来るはずである。

 

薬理学

 

​ フランスの外科医Henri LaboritによるChlorpromazine発見以来、精神薬理学は、精神病理学と両輪を成して、精神医学の発展に寄与してきた。薬理学から発展した受容体仮説が精神症状の成因に肉薄し、内因精神疾患の病態を解明する福音であるかに思えた。

 研究の精度を上げる為に診断基準まで見直されもしたが、精神医学の診断体系の大枠は維持され、未だもって精神疾患の全容を明らかに出来るだけの成果は得られていない。とは言え、治療技法は飛躍的な発展を遂げ、Phillip Pinnellが宣言した「鎖からの解放」は、実践が可能となったのではないだろうか。

 それでもまだ治療による副作用の苦しみや服薬を継続しなければならない現状など「見えない鎖」は残されている。あるいは治療に抵抗性を示すこともよく経験することである。こうした苦しみを軽減する為にも、精神薬理学には精神病理学と両輪を担って、精神疾患の全容解明に務めなければならないのである。そこで初めて福音がもたらされるのかも知れない。

 

精神療法

 

 Sigmund Freudは無意識を「発見」して、Friedrich Nietzsche、Karl Marxとともに近代哲学の扉を開いた。Nietzscheは神から自我を、Marxは物質から自由をそれぞれ取り戻した。しかしFreudによって人間は、自分では制御できない領域があることを知らされ、近代人は驚愕に打たれることとなった。斯くして自分を取り戻せたかの様に思えた人間は、無意識の僕であることを知った。

​ しかしFreudは、その人物の行動、思考や感情を「解釈する」手法で「無意識」に迫ることに成功した。それが精神分析である。精神病理学者であり実存哲学者のKarl Jaspersは、「かの様な了解」として批判したが、精神病理学が主に精神病を対象にしてきたのに対し、精神分析は神経症を主要な対象として発展した。両者は、精神医学において互いに対立軸として存在し、時には対立し時には補完してきた。

 勿論、精神分析だけが精神療法ではなく、様々な理論に基づいた精神療法が確立している。いずれの精神療法においても、「本人に問題を気付かせる」ことがその治療機序である。あるいは本人が見ようとしないところに光を当てる作業が精神療法であると言っても良いかも知れない。

 人間は、非常に複雑な存在である。言葉を持つ生物は人間だけである。言葉は考える為にあるとしたのはAristotelēsであるが、共に考えることで独りで考えるだけでは到達できない領域に到達しようとする試みは、言葉を持つ人間にしか成し得ないことなのではないだろうか。

 

司法精神医学

​ 精神医学は、医学と司法の接点の一つになっている。そのことは、とある人物の責任能力を判定する時に社会の表面に現れてくる。所謂、精神鑑定である。刑事だけでなく、契約などの場面で民事においても問題となることであるが、事件の場合は特に重要と言えるだろう。

 臨床における判断と鑑定の場面での大きな違いは、目の前にいる人物の現在の精神状態を判定する訳ではなく、懸かる事案が発生した遡ったとある時点における状態を判断しなければならない点にある。そしてこの点が鑑定の難しさでもあるのではないだろうか。

​ 司法精神医学の役割は、鑑定にとどまるものではない。事件であれば、その被害者の支援も役割の一つと考えられている。また、加害者への介入も重要な役割と言える。精神的な問題が、その行為に及ぶ大きな要因であるならば、それを解決しなければ再び被害者を作り出してしまうかも知れないからである。

 あるいは幾度も、犯罪的行為に及ぶ人物にはどの様な精神医学的な特徴があるのかを明らかにすることも重要な使命である。それにより犯罪を繰り返さない為に、より有効な矯正が可能になるかも知れない。

 以上の様な役割を果たす為には、必然的に1人の人物を非常に深く知る必要がある。どの様な状況でも時間に制約のない作業などは存在しないが、通常の臨床と較べて多くの時間を費やし、特定の人物と向き合うことは、「人間」を知る上で大きな知識と経験をもたらす筈である。

聖マリアンナ医科大学
​神経精神科学教室

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